四季折々の歴史を感じる庭園と
京風のお屋敷

離れの寺院風玄関と主屋の数寄屋造が対象的な豪農の邸宅。どちらも内部には繊細な装飾が数多く施されています。美術品収集家でもあった保阪家の持ち物も見どころです。

保阪邸

保阪家の成立は、現在の三和区から遅くとも江戸時代の享保年間に現在地に定住したと考えられています。古文書には、稲田で米問屋を営んでいたと記載されています。松平光長公が改易された、いわゆる高田騒動後のこの時代は城下町全体の縮小時期であり、保阪家は農地経営に軸足を戻しながら隣接地の戸野目に拠点を移し、新田開発を始めました。
明治時代に大火にあい、現在残っているのは明治期の建築様式です。邸宅のガラス戸から見える自然な景色が見どころであり、長い廊下を過ぎると歴史的な調度品が飾られている座敷があります。また、奥には水屋もあります。
「怡顔亭」は、元々は仏間として使用されていました。また、堀口大學等の著名人も訪れ、現在は客間として使用されています。
庭には、四季折々の花々が咲き、色々な小鳥のさえずりが聞こえ、自然を感じることができます。

保阪邸

「怡顔亭」の大玄関の屋根は唐破風であり、正面のお庭には全国から集めた石が組まれ、大きなイトヒバの大木が植えられています。玄関の四つ柱の格天井は縄文杉が使われています。

保阪邸

「怡顔亭」の廊下に使われている長押 (なげし ) は一本ものの杉を使用しています。柱は四方征目や四方の角部分が丸みをおびた面皮作りを使用しています。本襖は、楮( こうぞ) の繊維を花に見たててデザインされています。

保阪邸

控えの間の軒天井は、赤松と竹が交互に施されています。床柱は丸太の絞り杉になっています。萩と葦と藤蔓が透かし壁に使われており、大工さんの遊び心が見えるような造りになっています。

保阪邸

北側にある縁側から見える石は、京都の鞍馬石が使われ 釿削り(ちょうなけずり) を施した木材が何本も軒先まで使用されています。

保阪邸

雪見障子の桟には面取りが施され、雪見窓には当時のままの板ガラスが使用されており、そこから覗く景色は昔の面影を写し出します。

保阪邸

蒔絵と保阪家の家紋を施した大鏡は、新発田の市島家から嫁いだ祖母の嫁入り道具の1つです。鏡はドイツ製と言われています。

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