宮大工による書院造りの「懐徳亭」と
池泉回遊式の苔庭「集義園」
主屋の玄関の奥に進むと、宮大工による総檜の書院造の離れ「懐徳亭」や上越市を代表する池泉回遊式庭園を観賞できます。広く静寂な苔庭の中には、当時使用されていたお茶室もあります。
瀧本家は、約300 年前の大瀁郷新田開発から頸城の地で栄えた大地主で96 町分を所有しており、頸城村長や新潟県議会議委員を輩出しています。
表門は武家屋敷に使われていたものと同式の薬医門。主屋は残されていませんが、当時は総二階建てでした。他に物置、蔵、井戸小屋があり、左奥に入ると平成24 年に登録有形文化財に指定された「懐徳亭」が佇んでいます。
「懐徳亭」は、知命堂病院創設者の瀬尾玄弘氏が、高田市内の自宅の離れとして大正2年に建てたもので、昭和15 年にほぼ完全に現在の場所に移築されました。回遊式日本庭園があり、築山に東屋、腰掛待合、茶室がその姿を残しており、「懐徳亭」よりの眺めはこの庭園の魅力の一つです。
「薬医門」と呼ばれる形式の門。2 本の親柱と後ろ2 本の控え柱が貫で繋かれた4 本柱の門で、天井は格天井で高田寺町の山門や秋田・角舘の武家屋敷通りなどが有名。昭和53 年の道路拡幅の際、邸宅側に一間分移動させています。
明治27 年、会津藩士、南摩羽峯が来訪し、集義齋と名付けた主屋玄関。昭和23年に主屋は他所へ移築され、式台玄関だけが残っています。前には馬車廻しがあり、当時を偲ばせます。
宮大工による威厳のある書院造り。琵琶湖堅田の浮御堂を写した雪見燈籠を望む。釘が使用されてなく、桔木(はねぎ)を用いた深い庇が特徴で、前室と座敷の二間があります。
一の間は折上げ格天井。二の間は竿縁天井。灯具は明治大正期に人気のあったデザインで二間を明確に格差づけています。書院窓越しの庭の眺めは必見です(額縁効果)。
池にかかる橋を渡って東屋を通り奥へ行くと茶室があり、腰掛け待合や豪快な蹲踞があります。
当時は芽茸きで昭和50 年代に銅茸きとしました。
当時、中興之祖、第11 代、瀧本義雄の碑。庭園の中に三碑ある一つ。頸城村長や農家組合長を務めました。
■ホームページ
https://www.kanko-kubiki.jp/post_spot/takimototei/
■住所
〒942-0127 新潟県上越市頸城区百間町711
※公開時期:通常非公開です。ご相談ください。